【関浩哉のプロフィール】レーススタイルや実績は?

若手の登竜門『G1ヤングダービー』のタイトルを、デビュー後わずか3年10ヶ月という早さで獲得した関浩哉選手。

「妥協できるから、妥協しない」の言葉を常に心に留め、コツコツとひたむきに自分の力を磨き上げる努力家です。

また「良いレースを魅せます!」とアピールする、強気で大胆なレースが多くのファンを魅了しています。

本記事では、そんな関浩哉選手のプロフィールを解説します。

編集長

『競艇Picks』で関浩哉選手を1から学ぼう!

関浩哉選手のプロフィール

  • 名前:関 浩哉(せき ひろや)
  • 生年月日:1994年11月16日
  • 出身地:群馬県
  • 支部:群馬支部
  • 登録期:115期
  • 登録番号:4851
  • デビュー:2014年11月6日
  • 身長:159cm
  • 体重:51kg
  • 血液型:O型
  • 師匠:土屋太朗
  • 弟子:情報なし

高校2年生の春に、祖父から将来の進路について「ボートの選手はどうだ?」と言われた事がきっかけとなり、レーサーを目指した関浩哉選手。初めてレースを観戦したのは2012年8月にボートレース桐生で開催された『SG第58回モーターボート記念』だったそうです。

中学と高校では野球に打ち込み、取り柄である足の速さを活かした駅伝大会では優勝した実績を持つスポーツ万能な関選手ですが、意外にも養成所では教官から「適性がない」と言われてしまうほど失敗が多かったそうです。それでも同期の支えや負けず嫌いの精神で卒業記念競走では6号艇に乗艇し、3着の成績をおさめ卒業しました。

 

関浩哉選手のレーススタイル

関浩哉選手はデビューからA級に昇級する2017年11月までの丸3年間、全てのレースを外枠から戦うスタイルを貫いてきました。それは師匠である土屋太朗選手の『教え』であり、しっかりと自分の力を身につける為の信念だったそうです。その信念は準優勝戦に1号艇で乗艇する事ができたレースでも、大外6コースまで出て戦うという克己的なものでした。

「上のステージで戦うには外枠からの技量が必要」と、師匠の教えをしっかり理解し他の選手には真似できない忍耐力で培った関選手のレーススタイルは、”少ない展開の中を一瞬の判断でモノにする・時には思いきったスタートで全部捲ってやるくらいの大胆な気持ちも必要”という考えが込められており、どのコースからでも期待できる選手と言えます。

またトップレーサーである峰竜太選手や桐生順平選手、そして地元の絶対的エースである毒島誠選手を引き合いにだし、「どんなに強いレーサーだとしても、ターンは完成されてしまったと思いたくない」という信条を持つ関選手。「先輩がやっていないことをしてみたい」と新時代を拓く目標を掲げています。

 

関浩哉選手の主な優勝実績

  • 2018年9月浜名湖G1『第5回ヤングダービー』☆デビュー初優勝・G1初優勝
  • 2021年1月桐生一般戦『第54回スポーツニッポン杯 第49回群馬ダービー』☆地元初優勝
  • 2022年5月津G1『開設70周年記念 ツッキー王座決定戦』

外枠からの勝負で力をつけた関浩哉選手は、2018年9月にグレード戦初出場となる『G1第5回ヤングダービー』の初戦で3号艇からまくり差しを決め、グレード戦初出走と初勝利の水神祭をあげます。

この勝利も含め予選では1着3本・3着2本という好成績を重ね、グレード戦初優出となる優勝戦では1号艇に乗艇しました。優勝戦では当時フライング持ちながらも.02のトップスタートで逃げ切り見事優勝。

この時、関選手の年齢は『23歳10ヶ月』。それまでのヤングダービー(新鋭王座決定戦)最年少優勝記録を保持していた原田幸哉選手の『24歳3ヶ月』の記録を更新し、この記録は未だ塗り替えられていません。

 

関浩哉選手のSNSアカウント

世界遺産で知られる群馬県の『富岡製糸場』の近くで生まれ育った関浩哉選手は、幼い頃は山で猪の子やうり坊を追いかけ回して遊んだり、自然豊かな地域で伸び伸びと育ったそうです。子供の頃から身体を動かす事が大好きな関選手は、休みの日も家でじっとしている事が少ないそうです。趣味は釣りやロードバイク。時にはのんびりと散歩したり、なるべく外へ出かけて穏やかに過ごす事が好きだそうです。

2015年から更新されることがなくなってしまいましたが、関選手のTwitterアカウントではアウトドアを楽しむ様子も過去に投稿されていました。

関浩哉選手が在籍する115期は、権藤俊光選手・仲谷颯仁選手・野中一平選手・豊田健士郎選手など、グレード戦で活躍する選手が多く揃います。また年齢幅も広く一番年上の権藤選手と関選手の年の差は8歳。養成所時代を自ら『問題児』と表現する関選手ですが、最年長として115期をまとめていた権藤選手には「沢山迷惑をかけた」と当時を振り返っていました。

そんな関選手の養成所での『問題児エピソード』として豊田選手が語るのは、集団生活の中で、関選手が仲谷選手から「関ちゃんのイビキがうるさい」と言われた時の話です。

(申し訳ない)と気にしてしまった関選手は、その日の消灯後こっそり部屋を抜け出し、廊下でみんなが寝静まってから戻ろうと行動したそうです。しかし規律が厳しい事で有名な養成所。廊下に潜んでいるところを教官に見つかってしまい、咄嗟に「お腹が痛い」と嘘をつきその場を免れました。ここまでは良かったのですが、今度は『嘘をついた事』に罪悪感を感じてしまった関選手は、翌日教官に全てを打ち明けたそうです。結局は抜け出した事と嘘をついた事でダブルのお叱りを受けてしまった関選手。自身の短所を「あまり考えずに行動しちゃう」と話していましたが、こんなピュアなエピソードは可愛らしいですね。

 

関浩哉選手の今後の活躍にも目が離せない!

関浩哉選手が成し遂げた『デビュー初優勝がG1』という記録は、1988年に山下将人選手(引退)がG1四国地区選手権をデビュー初優勝した時以来であり、約30年ぶり・史上2人目となるほど稀な出来事です。

その初優勝後も優出や優勝を重ねた関選手ですが、『グレード戦』での結果をなかなか残せず、2021年頃に「このまま終わってしまうのかな」と気持ちが弱くなった時期があったそうです。

それでも「自分を一つ変えて行こう」と自身を見つめ直す努力で獲得したのが、2022年5月にボートレース津で開催された『G1開設70周年記念 ツッキー王座決定戦』のタイトルでした。

その優勝者インタビューで、苦しかった時期を思い出し涙を堪える事ができなかった関選手。「先輩がやっていないことをしてみたい」と新時代を拓く目標を、これからも貫いて頑張って欲しいですね!